パターンの認識とキムのゲーム

前章で述べた様に 「如何に効率良く少ない労力で (視覚) イメージをコントロールするか」 という事が視覚化の鍵である。 前章ではその為の肉体的条件について考察したが、 この章では、 視覚イメージを把握する為の方法論について考察してみよう。

街中で知り合いを見かけて声をかけたら似ている他人だった、 というのはよくある話である。
ではこの「似ている」というのはどういう事だろうか?

人間は常に毎時毎秒、 感じ取る事の出来る全ての情報を駆使してあらゆる物を細かく分析している訳ではない。 大抵の場合は、 物事の大まかな特徴によって数種類のパターンに分類し、 必要があれば更に細かく分類していくものだ。 例えば、 我々は人間の顔を 「丸顔」「四角い顔」「しょうゆ顔」「馬面」 等に分類し、 それを人を見分ける際の基準の一つにしている。 つまり「似ている」というのは その様な分類において同じパターンに属しているという事である。

この様な分類は、 有限の能力しか持たない神ならぬ人間(そしてあらゆる動物) にとって大変効率の良い情報処理の方法である。 何故ならば殆どの場合、 五感で受ける様々なイメージをその細部まで損う事無く長期間記憶する事は事実上不可能だからである。

そして人間はイメージを扱う際には、 基本的に複数のパターンを駆使してイメージを再構成しているのである。

例えばチェスや将棋のプロは頭の中のイメージだけを用いて試合をする事が出来るが、 彼達はそれぞれの駒を、 全くバラバラに升目の位置だけで記憶している訳ではない。 駒の動く範囲による自陣の駒同士或いは相手と自分の駒との連係パターン、 定石(典型的な手順のパターン) との相似とそこからのズレ、 過去の対戦記憶にあるパターン、 等を用いて記憶しているのである。 更に上記のパターンを複数組合わせる事によって、 一つのパターンのセット (四間飛車穴熊戦法、等) が生成出来るが、 慣れて来ればそれも言わば一つのパターンとして取り扱う事が出来るのである。

つまり、パターンを把握し、 それを利用する事によって、 人間は非常に効率良く複雑なイメージを扱う事が出来るのである。

逆に、 あるパターンに分類されるものがあれば、 人間の脳はそれと既知のものを結び付けたり、 時には両者を混同したりするものなのだ。

「(^o^) (^_^) (^_^; (-_-) (-_-; (;_;) (T_T) (ToT)」

上記の文字列は、 賢明なる読者の皆様には説明の必要も無いとは思うが、 単なる意味の無い記号の列である。 しかしながら、 人間の脳はその無意味な記号列の中に笑い顔や泣き顔のパターンを見い出そうとしてしまう。 有名な火星の人面岩、 或いは同じく有名な火星の巨大

「にこちゃんマーク」 (^_^)

はそういった脳の働きが生み出す錯覚の例である。 或いは
「幽霊の正体見たり枯れ尾花」
という俳句はまさに人間のその様な認識の仕方を表現している、 と言っても良いだろう。

言い換えれば、 視覚情報が 「パターン」に引きずられてしまう事が「見間違い」なのである。 我々が視覚化に取り組む際には、 この様な人間の習性をふまえて考えるのが上手いやり方であろう。

ではこの様な観点から視覚化についてもう少し具体的に考えてみよう。

魔術作業や儀式の中では、 五芒星や六芒星の様な比較的簡単な幾何学的図形から、 複雑な印章、 そして神や天使、悪魔等の姿まで様々なイメージが視覚化される。 だが、 それらのイメージは視覚化の瞬間にいきなり形成される訳では無い。 既知のパターンの中に分類出来ないものを脳が扱う事は大変な労力を要するので、 前もって形成しておいたイメージが出てくるか、 或いは今まで記憶の中に蓄積されていた様々な断片的イメージが儀式によって喚起されたイメージやパターンと組合わされて出てくるか、 のどちらかである。

つまりイメージを扱う為には頭の中でイメージを組合わせ、 構成する力が必要なのである。

プロの画家ですら絵を書く時には絵全体の大まかなパターンをキャンバスに描く、 つまり下描きをするのだ。 だから魔術師の視覚化の場合にも当然、 自分の記憶に貯えてきた断片的イメージを貼りあわせる為の 「下描き」或いは「設計図」 となるパターン或いは漠然としたイメージが必要になるのだ。

昔のコンピュータゲームを知っている人は、 昔の3Dゲームでは直線で構成された多角形 (ポリゴン)だけで立体を表現していたのをご存じだろう。 そしてコンピュータの能力向上に供なって扱えるポリゴンの数が増えると、 3D画像は次第に現実世界にある物体の形に近づいて行き、 更にポリゴンの上にテクスチャと呼ばれる表面用のイメージを貼り付けられる様になると、 かなり自然な立体感を表現出来る様になった。
我々魔術修行者もこれと同様の方法をたどるのが効率的であろう。 即ちイメージを扱う際には大まかなパターンを把握する事から始まって、序々に部分部分のパターンを把握していき、 最期に細部のイメージを貼り付ける、 というやり方である。

という訳で、 視覚化作業の基礎として、 視覚化するイメージの大まかなパターンを把握する力が必要になる。 この能力を向上させるものとしては所謂「キムのゲーム」 の訓練が有名である。 詳細は色々な魔術入門書を参照して欲しいが、 あれは物の配置を漠然としたラフなイメージで捉らえる為の訓練なのである。 だからこの訓練を行う時には、 個々の物体の細部にこだわって記憶しようとしないで、 物体同士の位置関係をパターンとして把握しようと努力する事を強くお勧めする。

一方、 記憶の中に様々なパターンや断片的イメージを蓄積しておく事は、 イメージの細部の質を向上させる上で重要になる。
その為には、 兎に角色々なモノを見たり感じたりするしか無い。 大自然の中で色々なモノを見たり触れたりするのも良いし、 映画や絵画を見たりする事も非常に役に立つ。 また、オカルト関係の漫画も案外役に立つものだ。
イメージの大まかなパターンが把握出来る力が付いたら、 是非こちらにも取り組んで欲しい。

以上をまとめると、 視覚化の際にはまず視覚化するイメージの大まかなパターンを把握する事が重要であり、 それを把握してから細部に取りかかるべきである、 という事になる。

さて、 人間の見間違いはこの「パターンを認識する」 能力から来ている事はこの章で少し説明したが、 次章ではこの 「見間違い」能力と視覚化との関係について更に詳しく論じよう。

(次章に続く)


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