視覚化について

by Hocuspocus

序論

さて、 魔術の奥義を求めてココにやって来た諸君、 まずは君達に究極の追儺の為のマントラを伝受しようではないか。

♪ オバケなんてなーいさ♪
♪ オバケなんてうーそさ♪
♪ ねーぼけーたひーとが♪
♪ 見間ちがーえたーのさ♪

このマントラを唱えれば霊験あらたか、 もしも汝が現実の世界に居るのなら、 汝の目の前に出現したあらゆる霊的存在の姿は消え失せるであろう。
理論上は(笑)

魔術では幾多の神や精霊、 魔物を相手にするが、 所謂「物質化」という特別な技術を使う場合以外は肉眼ではなく 「霊視」 で姿を確認する場合が殆どである。 つまり多くの場合、 寝呆けてオバケを見る事と魔術で霊的存在を相手にする事は、 端から見ている分には大差無いのである。 更に某達人の魔術の定義 「すなわち魔術とは、想像力を用いて意識的に夢を見る趣味である。」 を思い出していただきたい。 寝呆ける事とは半分目覚めた状態で 「夢を見る」 すなわち想像力を用いて幻影を見る事である事を考えれば、 上記の定義は以下の様により簡潔な言葉で言い替える事が出来るだろう。

すなわち
魔術とは、 意識的に寝呆ける趣味である。
「葉隠」風に言えば
魔道とは寝呆ける事と見つけたり。
となる。

夢の世界は日常の論理的思考ではなくイメージが支配する世界である。 従って、 別のページで 「想像力によるイメージ操作こそが魔術の中核をなすもの」 述べた様に、 イメージを自在に操る事が夢の世界、 ひいては魔術の世界を操る鍵である。 寝呆ける事、 すなわち半分目覚めた状態で夢の世界に入る事に如何なる効用があるのかについては別の機会に論じる事にして、 ここではその為の技術である 「視覚化」 について解説しよう。

視覚化とは物理的に存在しないものをイメージとして感じ取り、そのイメージを操作する技術である。

例えば最もポピュラーな儀式である小五芒星儀式では、 東西南北に神々しい大天使と燃える五芒星を、 そして頭上と足元に輝く六芒星を、 それらがあたかも実在し肉眼で見えるかの如く想像、 即ち視覚化する。 これらのイメージ無しで動作と神名の発声を行っても、 心の奥底にダイレクトに働きかけるものが欠けている為、 儀式の効果は殆ど無い。 肉目に見えないイメージ抜きでは、 魔術儀式は単なる空虚な動作に過ぎず、 一般社会で皮肉をもって言われている意味での 「儀式」に成り下がってしまうのである。
従って、 そのイメージをコントロールする視覚化の技術は、 まさに魔術の成否の鍵を握るものなのである。

さて、 多くの魔術入門書で言われている事だが、 「視覚化」と一口に言っても言っても実際に扱うイメージは視覚、 聴覚、嗅覚、触覚、 味覚の五感全てのイメージを扱う事になる。 しかしながら、 特に感覚器に異常が無い限りは、 人間の感じる情報の中で視覚イメージが最も多い割合を占めているのは事実である。 それ故、五感を代表して「視覚」という言葉が使われている。
しかしながらその情報量の多さ故に、 視覚イメージのコントロールに困難を感じる人は多い。 何ら特別な訓練をしなくても楽々とイメージを操る特別な才能を持った人も存在するが、 大抵の人はどうしたら視覚イメージをコントロール出来るのか分からない。 魔術の訓練の初期において最も躓く人が多いのがこの視覚化の訓練である。

だが、 「寝呆ける」事と「見間違える」事に困難を感じる程御立派な人物もそうそういないハズだ。 そしてその2つの事が出来れば、 原理上、視覚化を行う事に何の問題も無いのである。 つまり視覚化とは身体や精神に障碍を抱えていない限りは、 原理上、 誰でも習得可能な技術なのである。

という訳で、 以下で「寝呆ける」事と「見間違える」事と視覚化との関係について、具体的に解説して行こう。

(次章に続く)


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