まず最初に、 視覚化を行い易い肉体的条件について考えてみよう。
視覚化が難しい原因の一つは前のページでも述べた様に、 視覚の情報量が多い為簡単に制御出来ない事である。 という訳で視覚情報が多過ぎて処理しきれないのならば、 それを減らせば良いのだ。 それには目を瞑るのがてっとり早い。 ついでに肉体の他の雑音も減らすと情報の制御は更にやり易くなる。
試しに、 目の上に濡れたタオルでも乗せて、 ついでに気軽に音楽でも聴きながら、 ちょっと一休みしてみよう。 その時貴方の目蓋の裏には、 昔懐かしい光景や楽しい映像が映し出されているだろう。 しかしそれは網膜が捉えた物理的な光の映像ではない。 脳内で記憶から再構成されたイメージが、 殆ど何も見えていない目からの視覚情報の上に合成されているのである。 つまり、 普段目を開いている時にその情報量の多さに埋もれていた脳内でのイメージが、 目からの情報を制限する事によってはっきり「見え」てくるのである。
もうお気付きだろうが、
この脳内のイメージを上手に取り出し、
コントロールする事が視覚化の技術である。
その為には出来るだけ関係無い情報を除去し、
使いたい情報だけを効率的に拾い出さねばならない。
その為の条件の一つがリラクゼーションである。
肉体からの余計な情報を減らすだけでも脳内の情報処理はかなり楽になるのだ。
ところで別のページで述べた様に、
リラクゼーションとは肉体を眠らせる事である。それを考えると、
肉体が寝ている時に見るイメージ、
すなわち夢のイメージを目覚めた状態でコントロールする事が視覚化の技術である、
とも言える。
さて、
寝呆けた状態というのは、
半分肉体や感覚器からの情報を得ながら、
半分脳内のイメージを「見て(感じて)」いる状態といえる。
従ってこの状態について考察する事は、
どうすれば覚醒状態でイメージをコントロール出来るか?
という事を考える上での良い手掛かりとなる。
まずはそこで、朝眠りから覚めた時、
起き抜けの目を開いた瞬間を考えてみよう。
あらゆるものがハッキリ見えるという事はまず無いハズだ。
最初に目の前の物がぼんやりと見え、
そして次第に目の焦点が合って来て色々な物がはっきり見える様になる。
ここで、
起きた時に暗い中にいるという状況を仮定してみると、
目の焦点を合わせるべきものが見えないので網膜からの情報が殆ど入って来ない状態、
すなわち目を瞑った状態と殆ど差が無い状態になる。
この状況下で、
もしも強いイメージを共なった夢を見ていれば、
目を開けた状態でその夢の映像を見る事になる。
そう、
世の中の所謂「枕元の幽霊」の話の殆どはコレで説明出来るのだ。
では次に、 周囲が明るい時に同様の状態になるにはどうしたら良いのか? を考えてみよう。 上記の状況について考えれば、 起きたままの状態、 つまり目の焦点が合っていない状態になれば、 外界からの視覚情報を減らす事が出来る事は容易に察しが付くだろう。 つまり視覚化を行う時は通常の様に物をはっきりと見ないのである。
ではどの様に目の焦点をずらせば良いのか?
昔の事を回想をしている人の目付きは
「遠い目」
と呼ばれる。
つまり、
遠くを見る様に目の焦点をはるか彼方へ持っていく事によって、
網膜からの視覚情報を減らし、
脳内のイメージを取り出し易い状態にする事が出来る。
(一方、
近い方に焦点を持ってくると目の筋肉が緊張してしまうので、
こちらはあまり適切では無い。)
逆にイメージを消去したい時は、
目の焦点をきちんと合わせる事によって網膜からの情報量を多くし、
脳内のイメージを情報の洪水に埋もれさせてしまうのである。
この2つの視点、
すなわち
「遠い目」と「しっかり見る目」
の使い分けが視覚化の重要なポイントになる。
早い話、
「ボケーっとしながら遠い目でものを見る」
事が視覚化の秘訣である。
こう書くと何だかアブナイ人みたいだが、
難しい顔をして一生懸命にらんだところで視覚化など出来はしない、
という事はきちんと頭に入れておいて欲しい。
以上の話で、 寝呆ける事と視覚化の関係は、 おぼろげながら分かっていただけたと思う。
では見間違う事との関係はどうだろうか?
次章では上記の様なイメージを扱うコツと見間違いとの関係について論じよう。