「・・・だけどちょっと♪ だけどちょっと♪ 」
おっとっと、
それ以上唱えてはいけない。
これより後には召喚呪文が入っているので追儺の効果が薄れてしまうぞよ。
これは私はやった事が無いので断言は出来ないのだが、 文献等から察するにかなり怪しい概念の様な気がする。 例えば、 もうもうとわき上がる香の煙を原料に霊が物質化する、 なんて場合は、 某仏教カルトがやっている炎の中に観音様や竜神様のお姿が、 ってのと同じパターン認識のトリックの様な気がする。
この 「霊視」 にしても全く未知の映像が見える訳では無い。 かなり自由度は残るにせよ、 使用する象徴体系によって或る程度の姿形は決まっているので、 自らの記憶に残るイメージと想像力によって構築された映像である場合が殆どである。
江戸時代の有名な武伝書。 元の文は 「武士道とは死ぬ事と見つけたり」 だったと思ったが間違っていたら御指摘願います。
勿論これらは最低限視覚化すべきものであって、 実践時にはもっと多くのイメージが要求される。 だが、 それらは個人や流派によって違ってくるのでここでは詳述しない。
世の中の
「怪談」
の90%以上は、
これと所謂「金縛り」
(運動を司どる神経系がまだ寝ている状態)、
或いは両者を混合したものだと思う。
両方とも全く生理的なものなので、
そういう事を体験する事自体には
(人体そのものの神秘を除けば)
不思議は無い。
人間は条件さえ整えば、
いとも簡単に幻覚を見てしまうものなのだ。
従ってその様な「恐い事」自体にこだわるよりも、
見た幻覚や幻影の原因や内容を検討する事の方が、
はるかに重要で意味のある事であると私は思う。
人間を含めてあらゆる動物は、
体の外すなわち外界から受け取る情報を目や耳といった感覚器官、
神経、
そして最終的には脳で適度に情報処理したものを「感じ取って」いる。
しかしながら、
動物の器官の中で脳が最も高い汎用情報処理能力を持つ事から、
脳内における情報処理が最も重用な事は明かである。
ここで主に考察しているのは、
その脳内での情報処理の一つについてである。
例えば、 視神経からの刺激(映像、残像) が無くなっても脳内に残っている視覚イメージを直感像と呼ぶが、 これを40秒以上保つ事は、 多くの人(特に現代人)にとっては極めて難しい。 直感像は目で見たそのままの映像が脳内に残っているものであるが、 その情報量が多過ぎる為、 いつまでも保持しておく事が出来ないのである。 40秒以上保つ事が出来る人を直感像保持者と呼ぶが、 これらの人が直感像を維持した状態で別の物を見ると、 直感像にその新しい映像が重なって見えるらしい。 例えば青色の直感像を維持している人が新たに黄色いものを見ると、脳内では青の上に黄色が重なって緑色に見えるそうである。
チェスの名人にゲームの途中の駒の配置と全くランダムに並べた駒の配置の両方を記憶させようとした所、 ランダムな配置の方は極端に記憶が悪くなったそうである。 やはり人間、慣れない事(パターンを把握していない事) をすると極端に効率が悪くなるものだ。
魔術におけるイメージや象徴は、 まさに人間のこの様な性質を利用して、 心の中から或る種の感情や観念を引き出すのである。
H.R. ギーガーみたいに下描き無しでいきなりエアブラシで描いてしまう様な人もいるが、 そーゆー生まれつき視覚化能力に優れた天才であるという自覚が無い人は真似はしない方が無難であろう。
全体の配置パターンを単純な幾何学図形に当てハメるのは避けた方が良い。あくまでも位置関係が問題なのである。
この技能を伸ばす訓練として、
単色の板の上で指で図形を描きその残像を保持する訓練が有名である。
これは手の動きと視覚情報を連動させて、
頭の中により強固な図形のイメージを刻み込む為の、
或いはそれらの関係を強化する為の訓練である。
訓練の際には、
指が最初にある位置に視点をあわせて、
指の動きを追わずに指がある時の明るさと指がそこから動いた時の明暗の差に注意する事。
細かいイメージを投影出来る様になる為には、
或る程度訓練が必要な事が多い。
多くの魔術入門書ではこの訓練を詳しく説明しているが、
ここでも一応解説しておこう。
この訓練の為にはイメージを投影する為のスクリーンがあった方がやり易い。
魔法鏡、水晶球、黒いインクの入ったコップ等が最適だ。
まず写真等
(漫画は線が多いので不可。
タロット等の象徴画も避けた方が無難)
をじっくりと眺めて、
それからその写真の中で特に印象深かった部分を思い浮かべてながら、
スクリーンをぼんやりと眺めてみよう。
まばたきを繰り返している内に、
一瞬、
スクリーンの上(表面では無い)
に写真の一部分が浮き上がるハズだ。
何回かやってコツを掴んだら、
今度は目の焦点を調節して、
その画像イメージを或る程度の時間保持しておける様に練習してみよう。
最初の内は小さな画像イメージの断片しか浮き上がって来ないが、
慣れてくれば或る程度の大きさの画像イメージを投影出来る様になる。
それが出来る様になったら、
今度は単色の壁の上、
そして複雑な背景の上、
という様により難しい条件で訓練すると、
どんな条件にいても視覚化が出来る様になる。
「2つの視点」の章で説明した様に、
リラクゼーションと目の焦点の注意する事。
魔術儀式では時折、 視覚の広い範囲にイメージを投影する事を要求されるが、 特に初心者にはそれは難しい。 だが、 町中で道案内をする時の手描きの地図の様なおおよその 「配置パターン」 を形成しておけば、 そのパターンに引きずられたイメージが適当に補完されるハズである。
所謂イメージ・トレーニングという奴である。