魔術作業として何を行うのか?

では現代の魔術に関わる者は一体、 どんな事を行っているのだろうか。

青白い月明かりが差し込む中、 眠気を振り払いつつ祭壇をセットし、 蝋燭に火をつけて回る。 その間、 バスケットの中では新たな生け贄がごそごそと動いていた。
最近は近所の野良犬、野良猫も随分減ってしまった。 一体幾つ生け贄をささげればヨグ・ソトートは我が問いかけに応えてくれるのか?
ひっかき傷を両手に作りながら、 ようやく生け牲の足を縛って黒い浸みのついた祭壇に載せた。 そして呪訴とも哀願ともつかぬ鳴き声を耳にしながら、 ヨグ・ソトートへの祈りを、 声を荒げ、 肺腑を絞り出す様に必死で唱えた。

これは私の昨日の魔術記録からの抜粋、、、ではない。 本当にこんな事をやっている人がいたら、 あまりお近付きになりたくないものだ。

さて、 前ページまでの話を大雑端にまとめると、 ここで扱うのは黄金の夜明け団の魔術であり、 それはまず使う者の心に影響を与える、 という事になる。
黄金の夜明け団の分派で修行を積み、 後に 「内光協会」 という結社を創立した著名な魔術師ディオン・フォーチュンの
「魔術とは意のままに意識に変化を引き起こす術である」
という定義は有名であるが、 この言葉は現代の魔術師達の心の中で実際に何が起こっているのかを最も端的に表している。

人間の心は、 他人の心どころか自分の心すら、 なかなかままならないものだ。 例えば、 貴方の見近に自分と付き合ってもらいたい異性がいるが内気でなかなか告白出来ない、 という状況を想定しよう。

「今日こそ告白するぞ」
と朝寝床から起きた時に決意はしたものの、 どうしたら良いかという具体的アイデアが浮かばない。 そして朝食を取りながら新聞やテレビを見ている内にその考えは何処かに行ってしまった。
その日も、 いつもの様に思い人はやって来て貴方と挨拶を交わした。 貴方はこの時とばかりにその人に自分の思いを伝えようと思った。 しかし、 貴方にはロクな準備も無いばかりか、 心の中には
「やっぱり恥ずかしい」
「もしもコレがキッカケでこの人に嫌われたらどうしよう?」
「まわりの人に聞かれるのも嫌だなあ」
「別に今のままでもいいじゃないか」
等々の思いが交錯してなかなか話を切りだせない。 そして、貴方が悶々としている内に思い人は去ってしまった。
夜独りで悩んではみるものの、 なかなか名案が思い浮かばず、 ふと手に取った漫画本に気を取られている内に時間が過ぎて結局そのまま寝てしまう。
そして夜が明け・・・

上記の様に 「何かを行なおう」 とする時に、 行なおうとする意志が他の事に気を向けようとする誘惑や内面の葛藤 に負けてしまう事は、 多くの人達にとっては日常茶飯時の経験であると思う。

では上記の様な状況から、 何を変えれば 「変化」 を引き起こす事が出来るのだろうか?
それは

の3つに要約されるであろう。

さて、 魔術に関わる者達は、 普段は主に

等の作業を行っている。
これらは上記の3つに直接対応する訳ではないが、 それらの効果をもたらしてくれるものだ。 例えば、 日々のルーチンワークを続ける事によって貴方の意志は鍛えられるし、 瞑想によって集中力が向上すれば、 心の内外の雑音を自在に排除出来る様になる。 また瞑想や儀式によって心の中に深く潜る事により、 内面の葛藤を緩和する鍵を見い出せるのだ。

また、 瞑想や儀式で用いるイメージは貴方の意志や集中力をサポートする為の強力な 「道具」 として用いる事が出来る。 この想像力によるイメージ操作こそが魔術の中核をなすものである。

これらを利用して、 魔術師達は己の心の中に自在に変化を引き起こしていくのである。

そして貴方の内面を探求していく内に、 貴方は自分の心のあり方についての洞察力を得ていくだろう。 ただし魔術は宗教ではないので、 その心のあり方なり方向性なりは自分で決めなければならない。 勿論それは簡単に得られるものではないが、 もしも貴方に「ただ生きる事」以上の「志」があれば、 答えは見えてくるだろう。
この方向性を魔術師達は 「魔術的意志」 と呼ぶ。

「意志」 は貴方の為す事を決め、 そして貴方の為す事はこの世界に多少なりとも変化をもたらす。 クロウリーは魔術を
「魔術とは、主体の意志のままに変化を引き起こす科学、技術である」
と定義したが、 魔術を追求していけば、 その言葉の意味はいずれ実感出来るハズだ。
貴方が何時か貴方の真の 「魔術的意志」 を見い出す事を祈る。

また、 魔術師は時折集団で儀式を行う。
儀式の実行者達は前述した様な事柄を利用しながら、 半ば瞑想状態で粛々と、 或いは歓喜と共に踊りながら、 儀式を遂行していくのである。 その姿は魔術にスキャンダラスな事柄を求める人達にとっては物足りないであろう。 しかし魔術師達はその場に彼達の鍛えられた精神だけに感じられる 「光明」 をその儀式の中に見ているのである。

もしも貴方が魔術を続けていけば、 その 「光明」 を彼達と共に見る事が出来るかもしれない。 その日が来る事を願いつつ筆を置こう。

(終)

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