魔術で何が出来るのか?

では魔術を修行すると一体何が出来る様になるのだろうか?

「魔術のお陰でモテモテになりオマケにお金にも全く不自由しなくなりました。 むしろモテ過ぎたり入ってくるお金が多過ぎたりして、 ちょっと嬉しい悲鳴を上げている位です。」

魔術を行えば貴方もこんな風に・・・成れる訳ないだろ!!!

モテたい奴はナンパの仕方でも勉強した方がはるかに効率的で時間もかからないし、 金を稼ぐ手段として最も安全かつ確実で効果が高いのは人一倍要領良く真面目に働く事である。 魔術なんか行っている暇があったら上記の事を行った方が目的の達成には効果的だ。 もしも貴方が魔術にその様な事を求めているのならば、 すぐに考え直した方が良い。

また、 魔術の修行でファイヤーボールが出せる様になると思っている人は、 某仏教系教団の念力で火を付けると称してこっそり化学薬品を使っているインチキショーでも見ていた方がずっと楽しめるだろう。

え?「魔術を修行すると神になれるか?」だと!
人間は人間にしかなれない。 人間以上の存在になろうとする人は、 ゲーテの 「ファウスト」 の第一部でも読んで頭を冷やすが良い。

ところで格闘技を実際に行った事のある人間ならば、 カンフー映画には実際と違う派手な演出が沢山入っている事が分かるハズだ。 空手やバーリ・トゥードの試合を見れば、 その動きは複雑であってもアクション映画の様な派手さは無いのが分かるだろう。
本当に使える技術は地味なものなのだ。
そして魔術におけるこの手の誇張は、 魔術自体のイメージが格闘技に比べて非常に曖昧であるが故に、 格闘技におけるそれとは比較にならない位大きい。 そして上に列挙した様な魔術のイメージは、 全て誇張の部類に入るものだ。

では魔術を修行すると何が出来る様になるのか?
多くの魔術師達によって確認されている事項は以下の様な事である。

覚めた目で見れば、 上記の事柄は全て術者の精神や主観に関係している事が分かるハズだ。
例えば、 自分の願望が達成し易くなった、 と思っても同じ時や機会は2度無いのだから、 魔術を行わない時と比較のしようが無い。 競馬に一度だけ行ってたまたま大穴を当てた人は競馬は儲かると感じるのと同じ事だ。
そして 「主観的にそう感じる」 という事以上の主張するに足る客観的証拠を得るのは難しいのである。

要するに魔術を修行する事によって、 まずは己の精神と主観を操作する為の知識と方法が得られる訳である。 某達人はこれらの事情をまとめて、 「すなわち魔術とは、想像力を用いて意識的に夢を見る趣味である。」 と言っている。

なんだそれだけか、 と言う事なかれ。
魔術をやって楽しい気分で毎日が送れるのならば、 それはそれで良い事であろう。 少なくとも毎日仕事で溜めたストレスを、 酒と煙草とパチンコで体と財布にダメージを与えながら解消する事よりもずっと健康的ではなかろうか。
勿論常に楽しい気分に浸れる訳では無いし、 逆に何時も楽しい事だけ感じようとするのも心の病気である。 だがそんな落とし穴に注意を払いつつ心も体も健康に保つ事が出来れば 魔術も人生も楽しむ事が出来るのだ。

結局、 魔術をやって得られる最高のモノは 「楽しさ」 なのである。
小さな子供の様に胸がワクワクする気持ち、 これこそが人生における真の魔法なのだ。 そしてその気持ちこそが人間を未来へと導いていく原動力であるのは、 有名な偉人や科学者達の伝記を読めば分かるだろう。 それに比べれば 「クロウリーが赤の他人を手も触れずに転ばせた」 とか 「A・O・スペアが雨乞いをしたら急に土砂降りの雨が降ってきた」 とかいう話は (本当ならば確かに凄い事ではあるが) 大して重要ではない。 他人を転ばしても雨を降らせても、 人生が面白くなければ大した意味は無いであろう。
そして魔術を通してその気持ちを一生持つ事が出来れば、 貴方の人生は実りあるものになるだろう。

(次章に続く)


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