エリファス・レヴィが
「高等魔術の教理と祭儀」
で述べている事によると、
真の達人には術は要らないそうだ。
その論法で行くと、
魔術なんぞ行わずに自分の求める幸せを自然に手に入れる人は最高の魔術師と言えるだろう。
この言葉は冗談、と言いたいところだが、
悲しいかな、90%以上真実である。
そしてそれは魔術に限った話ではなく、
東洋系西洋系を問わずオカルト業界全般に渡って共通の事なのである。
オカルトや新興宗教に関わっている、 或いは興味のある人達の多くは 「こういった精神世界に関わる人達は皆、 物質的欲望の追求とは違った精神的に貴いものを求めて来た人達だ。 だから皆信じられる良い人達ばかりだ。」 と思っている様に見受けられる。 実際、性格の良い人の割合は世の中の平均よりも多いかもしれない。
だが、人の世に悪の絶える事無し。
精神世界にも当然邪悪な人間はいるのだ。
奥義を伝受してやると言ってセクハラを行う者、
悩みの相談に乗りつつ相談相手を自分の属するカルトに取り込もうとする者、
悩みにつけ込んで他人を食い物にする者、等々。
これらは決して珍しい例ではない。
そしてそういった人達の割合は、
私が見聞きした範囲では、
上記の心良き人達の信念とは違って
世の中の平均よりもかなり多いと思うのだ。
私見だが、
こういった世界に入る人の多くが自分では簡単に処理出来ない悩みを抱えている事が多く、
またその解決をオカルトの世界に求める人が多い様に見受けられる。
従って邪悪な人間にとっては、
上記の様な信念を持って他人を容易に信じ、
また何かにすがりたいという欲求を抱えた人が多いこの業界及びその周辺は、
普通の社会よりも楽に詐欺行為を働き易いのである。
まさに大量の鴨が葱と味噌と鍋とダシ汁とガスコンロとお玉とその他諸々の材料と道具を背負ってよろよろと歩いている様なものである。
また、 良くも悪くもこの業界には精神に問題を抱えている人が流れて来易い。そしてそういった人達が他人を指導する側に回る事は、 良し悪しの明確な基準がないこの業界では容易に有り得る事である。 その場合、 指導する本人に全く悪気がなくても、 弟子に取り返しのつかない破滅への道を歩ませる事になるのだ。
かつて、
出版社に勤めていてこの業界に詳しい知人に私が
「オカルトライターの9割は基地Guyだと思うんですけど」
と尋ねた所
「いや9割9分だ」
という返事が返ってきた。
勿論この業界にも掛け値無しに尊敬に値する素晴らしい人達はいる。 だが、 社会の偏見にもめげずこれからこの世界に入ろうとする人は、 自分が入って行く世界が素晴らしい楽園ではなく、 場合によっては自分の人生が台無しになる様な世界である事を認識しておいて欲しい。
1980年代に今は亡き英国のオカルト出版社 アクエリアン・プレス が調査した結果によれば、 魔術&魔女術の本場英国におけるオカルトに興味を持っている人達の数、 いわゆるオカルト人口はおよそ10万人だそうな。 しかもそのうち実際に修行したり結社に入っていたりする人達はその10分の1の約1万人。 そして彼達を指導する人間の数は、 当然もっともっと少なくなり、 更に良い師匠の数となると決して大きな人数ではない事が分かるハズ。
そして私が聞いた範囲では、
どう考えても日本における熱心な魔術ファンの数は一万人以下、
多分5千位、
って所であろう。
で、その中で多分実際に修行したり結社に入っていたりする人は、
千人以下、
いや、やはり500人程度以下かも。
この時点で日本の全人口の0.0005%程度以下になる。
更に彼達を指導するのは、、、。
良い魔術の師匠を見つけるのがどれだけ大変かは、 こうやって考えると理解し易いと思う。
かつては魔術の世界に限らず武術の世界においても、
自分の師匠に対しては
(一般の人達にとっては全財産に等しい)
一生食うには困らないだけの報酬を与えるのがならわしだったそうな。
それだけの報酬を得ればこそ、
24時間付きっきりで手取り足取りの指導が可能だったのだ。
勿論それだけの報酬を与えたからと言ってマトモな指導が受けられる保証は何も無く、
多くの詐欺師が横行していた様である。
しかし、
暇な大金持ちがそこそこ存在した昔に比べて、
忙しい小金持ちばかりになってしまった現代では、
その様な師匠は食っていくのが難しいのである。
多分魔術界ではその手の師匠は、
(常に誠意を持っていたかは怪しいが)
クロウリー辺りを最期に絶滅したものと思われる。
また、
日本でも第二次大戦前後に多くの大物霊術家や武術家が消えていった。
従って、
今貴方がその様な師匠に出会ったと思っても用心した方が良い。
小金を掻き集める詐欺師の類である確率が非常に高いからだ。
御注意めされよ。
社会常識のある人ばかりだったら、 こんな当たり前の事を言わなくても済むんですけどねえ。
例えば、
非常識な人間の代表例の様に言われる事の多いクロウリーですら、
召喚儀式であまりにも社会常識から外れた神託、
例えば
「子供を殺してバラバラにしてその血を奉げるのが最高の生け牲である」なんてのを受け取った時には、
即座にそれを破棄している。
そんな事を本当に実行したら監獄に入れられて一生出てこれないのは確実だからだ。
そこが彼と、
チャールズ・マンソンみたいなその他大勢のオカルト基地Guyとの違いである。
だからこそ、
世間の殆どから嫌われ疎まれても、
何十年も魔術を続ける事が出来たのだ。
一般に
「魔術作業であまりにも常識とかけ離れたメッセージを受け取ったら常識に従え」
というのが原則である。
勿論場合によっては常識をくつがえす行動を取る必要もある訳だが、
その際には常識というものをしっかりと理解していないと誤った行動を取る事になってしまう。
そしてそれはしばしば致命的な結果を招くのだ。
冒険をしようとする者は、 まず自分の足場を固めて欲しい。
学習塾の講師やら家庭教師のバイトをしてやる気の無い生徒に出会うと良く理解出来るでしょう。
色々な魔術書が言う通り、
異なる流派のやり方をつまみ喰いする事は、
貴方に他人が指導し難くなる様な妙な癖を付けるだけでなく、
時として精神or肉体的危険をもたらす。
体や心を壊した上に魔術師としても使い物にならなくなったら何の為の修行なのか分からないであろう。
勿論一つの魔術書の学習を完全に終えたor止めた上で他の書にトライするのは悪い事ではない。
ただし前の本に書いてあった事に拘らずに、
素直な気持ちで学習する姿勢が大事である。
そう、
素直な気持ち、
これを忘れない様に。