魔術結社って本当に奴らが言うほど古いものなの?


沢山の魔術の本は、 建前上アトランティスの時代から秘密裏に存続しているであろう 古代からの協力と兄弟愛による魔術の伝統について語ってますよね。 これって何かホントのことがあるの?

A市、シグリッド・Tより

シグリッドさん、こんにちは。

少々、或いは沢山のホントがあるかもしれません。 貴方の見方に依りますが。 正直に言いましょう。 普通の歴史的観点から見れば、 この手の物言いの殆どは完全にゴミ屑です。 多くの魔術結社にとって、 「古きは良きモノ」 という信念に従って彼ら自身を古代の外国産の羽毛で飾り付けたい、 という誘惑に逆らうのは難しいことなのです。 例えば、かつてソクラテスと アクナトン王が所属していた、 と主張する薔薇十字系の団体があります。 テオドール・ロイスは、 そうした沢山の色物の中でも悪名高い偽証明書の販売業者で、 その昔ルドルフ・シュタイナーを説得して 1500 ライクスマルク (当時としては大層な金額) である団体の認可状を買わせたのでした。 それによってシュタイナーはO.T.O.の第X位階Rex Summusになりました。 これって「古き良き666」 ことアレイスター・クロウリーがO.T.O.に入る随分前の事なんです!

黄金の夜明け団ですら、 その正統性を建前上 「証明」 するために (更にも不器用にも) 文書を偽造するほど図々しいのです。 でもこの正統性についての執念は若い世代の団員達にはとっても馬鹿げたものに見えます。 彼らはしばしば自身の背景や家訓に対してとっても批判的になるばかりでなく、 最早、 古いものや過ぎ去ったことは例外なく素晴らしいという意見は持っていないのです。更に言えば、 もう一度黄金の夜明け団を例にとると、 ある面で素晴らしいコンセプトを持った魔術結社であっても − 黄金の夜明け団のような詐欺的行為をバラされるみたいな − 思わぬ躓きの石の為に粉々に崩壊してしまうかもしれません。

普通の歴史との間に隔たりがあるようなところでは、 「霊的関係」だとか「輪廻転生」 なんてトンデモ話が色々なものに更なるお墨付きを与えるためにでっち上げられます。 ついでに、「バチカンの秘密文書」 みたいな胡散臭い資料がそれらを補強すべく引用されます。 大まかに言えばバチカン市国が本当に何かを否定することはまず無いので、 特に、今までも、これからも、 このような事の為に堕落する人達が居るという事を考えれば、 これは定番のやり方なのです。 (コインの裏側の話はこれ位にしておきましょう…)

人生のその他全てに言えることですが、、 魔術には輝かしい面もあります。 そしてそれを理解するために、 私たちは、 日常の言葉の感覚における誠実さが常に魔術における美徳ではない、 ということを理解する必要があります。 結局、 魔術とは神話学と象徴主義の応用でもあるのですが、 神話学や象徴主義におけるホントと科学における客観的事実とが常に同じということはありえないんです。 でも、だからといって嘘と見なす必要はないんです! (笑い話の効用と似たような話ですよ。 笑い話も 「ホントの話」 でなきゃいけない、ってことはないですからね。 ホントらしかったり、もっともらしかったりすれば、 或いはその話が登場人物の性格を常識にそって正しく描いていれば、 それで十分なんです。)

そして私たちは、 魔術師として時間や空間を超えることに興味があるのですから、 そんな話をすることをためらうべきでしょうか? 特に、そのような話は何時も主観的であるという事を考えれば、 とても批判的に語られたり聞いたりする話なので、 結果として世代を経る毎に新たに書き起こされたり直されたりしていくのです。

二つのことだけは忘れないでおきましょう。 a)色々なレベルを互いにごっちゃにしないこと、 そしてb)実際の価値を見る目を失わないこと、です。 レベルをごっちゃにしないこととは、 騙しや策略を意図的に使わないことと、 神話を客観的事実にしてしまわないことです。 何故ならば、 そうすることによって結果的にそれらの実際の価値を貶めてしまうからです。 言い換えると、 そのような世界観が提供すべき期待に応える、ということなのです。

多くのシャーマン達が、 今よりも魔術師達がもっと力のあった 「古き良き時代」 を褒め称えている、 ということは良く知られています。 過去の言い逃れをするのは人間の典型的な習性ですが、 それは検閲者の働きを抑えることでもあります。 昔々人々が宙に浮くことが出来たと固く信じることによって、 今このとき宙に浮く可能性を促してくれるのです。 何故なら根本的に我々はそれが可能であると信じるのですから。 実のところ、 ある種の人々はとにかく考えるという骨の折れる作業から逃れようとします。 「私は知恵の本当の流れの中に立っている」とか、 或いはもっと単純に 「これは何時もこんなもの」 という信念を持つことによって。 でも勿論、そういうことは諸刃の刃のように働くでしょう。 その一方で、 他の大昔の存在 (「師匠達」とか、 「高き者」とか、「参入者」とか、 「マハトマ」(大師)とか、色々) への心理的な投影と現在との間にある時間の隔たり、 及びその信念に関係した自我の従属あるいは放棄の全てが組み合わさり、 それが無ければ未開発のままであったであろう魔術的能力を解放するのです。

勿論、 私のこの短くて小さなコラムは、 本当の、 純粋な、 古来の伝統的な教えを学ぶ人達を怒り狂わせることになるかもしれません。 その人達がこのコラムを読むなんて馬鹿げたことをしようと思ったら、 という仮定ではありますが。 私としてはそういう方々の名誉を傷付けるつもりは全然ありません。 カール・マルクスは、 どんな真実でも人にとっては有用なものだ、 と言ったと言われています。 その言葉は、特に魔術に当てはまるのです。 だから、よりよい魔術を行う為に輝かしい過去を必要とする人は気楽に歴史を創造すべきです。 でも、 経験から言えば、 歴史上の重要性に重きをおくことは良いことではなく寧ろ落とし穴になります。 何故ならばそれによって内面の本質よりも外面の良さを有り難がるようになってくるからです。

話を切り上げる為に、 このようにまとめましょう。 時が幻覚なのならば、 それを私たちの魔術的な活動の材料として使いましょう。 人生の見方、信念、物質、霊、魔術的な力、等々のように。 でも私たちは内なる自由の感覚から湧き出ることのみを、 私たちが魔術師としてホントにしたいことをきっぱりと行う事が出来るという自覚を持って行うべきです − それには生物学的あるいは霊的な先祖が作りあげたものが含まれているのです。

そしてここで、 私の実践的なアドバイスを。 もしも貴方が、 建前上オシリスの時代から途切れること無く続く儀式と知識を持った団体と出合ったならば、 その言い分がどれだけ真剣なものなのかをじっくりと眺めて観察してみましょう。 もしもその団体が、 その証拠は 「秘密文書」 の中に書かれているが、 それは残念ながら高い段位や位階でないと見ることが出来ないんだ、 と言って貴方の垂涎の的になるよう誘ったならば、 この団体の「正直さ」の項目にそっと×を付けましょう − それは結果的に貴方がそこで何事かを学ぶことが出来なかった、 ということを意味するわけではありません。 貴方が彼らのセコい策略に気が付いたことを彼らに示したいのなら、 諸手を挙げて歓迎されることを期待するな、 ってだけの話です。

では、 これからアトランティスの時代からやってきた私のインカ人の伯母と未来の世界の運命について計画を練る約束があるので…

貴方のすごい博識に敬意を表して。

クララおばさんより


訳注


訳者の弁明

Notes in English


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